5月21日・・・
妻との婚姻関係もおかげ様で
丸12年が経ちましてね。

ワタシは9月で46。
妻は昨日41になりました。

12年間・・・大したトラブルもなく
今日に至っています。

記念日をキッカケに、少し、
人生を回顧・回想しようと思います。

「初心忘るべからず」とも言いますので、
自分への備忘録としてもしたためようと思います。

大したオチも無いから
無理して付き合わなくていいよ(笑)

大学卒業して、
東京と栃木でサラリーマンやったのが二年半。

それ以降はずっと
「経営者側」として生きて来たんだ。

栃木の足利ってところで・・・

「1200坪の土地でガソリンスタンドと
レンタル小売店舗の併設実験をやるから、
その二つの商業媒体が
相乗効果を生むような施策を考えろ」

って言うのが東京の親会社から、
子会社に送られた
ワタシへのミッションだったんだ。

そこでレンタルビデオのビジネスに接した。

「よその街に存在していて、
おらが故郷に存在していない
商売をやりたい!」って思ってさ・・・。

当時2年の契約だった
足利の会社の契約を半年でやめて
地元に帰ったんだ。24歳の頃。

25歳でレンタルビデオ屋や
書店などを始めて30歳までは
結構それなりに儲けていたよ。

親父が起業した燃料販売会社に
レンタルビデオ・物販複合店の
事業部を加える形で事業を進め、
親父が石油販売、
ワタシがレンタル物販複合店を管理する、
って言う形態だったんだ。

新潟の人口四万人程度の片田舎だから、
20代そこそこで起業するヤツなんか
珍しかったから、ワタシは当時目立っていたと思う。

収入も結構あったし、
当時は独身だったし・・・・
振り払っても振り払っても、
みんながワタシをチヤホヤしてくれて、
その時までのワタシはすっかり有頂天でした。

中古のスポーツカーを購入して、
車両を黄色に全塗装して、
足回りを強化して・・・
なんて200万円くらいかけて
乗り回したりしていた時期もあったな(笑)

ワタシがもうすぐ31になる、って言う頃・・・
親父が取り仕切っていた燃料販売の商売で、
卸先の破綻によって
6400万円の手形が焦げ付いたことで、
ワタシの人生は大きく転落していく。

レンタルビデオ屋で作った
内部留保をすべて吐き出し、
不足分は「セーフティネット」で融資を受け、
どうにか「手形の買い戻し」を実行し、
会社をつないだんだけど、
翌月からワタシの給料は20万円になった。

チヤホヤしていた人間は
蜘蛛の子を散らすようにいなくなったよ。

特に銀行だ。

ガラリと表情や発する言葉や態度を変貌させた。

銀行に何度となく呼びつけられて、
必ず親子で叱咤を受けるんだ。

「どうするんだ!
こんな事を想定していなかったのか!」って。

「お前らだって、
おんなじじゃねーか!」って
心の中では思っていたけど、
うちの親父は元銀行員。

黙って頭下げてるのに、
ワタシだけ反論するわけにもいかず、
一緒になって頭を下げる。

年間資金繰り計画やら
年間事業再建計画やら
三か年計画・五か年契約なんて
作らされてさ・・・ワタシの仕事は
「銀行向け資料作成」が主だったものに
なっていったんだ。

親父が、その頃の銀行の態度の
変貌ぶりについていけなくてね・・・・
体調を崩したんだ。

それである時、
「お前、社長をやってくれんか?」って言われて
社長になったのが31の終わり頃。

社長なんて言ったって、
年収は200万円程度。

ジリ貧の状態。

そんな頃に妻と知り合ったんだ。

二人で食事に行った時に、
妻が「なんで32歳にもなって
結婚しないんですか?」って
ワタシに訊いてきた時に、

「事業が結構大変で
借金がたくさんあるんだよ。

今、誰かと一緒になると
路頭に迷わせることになる。」って答えたら、

「へぇ~・・・そんな顔して
結構つまんない事気にするんですね。」って
言われたのがキッカケで結婚したんだ(笑)

その後、結婚してから妻は・・・・
「実は結婚してから、事の重大さに気付いた」と(笑)

ただ、妻は当時のワタシの貧困について、
ボヤかなかったんだ。これには本当に救われたよ。

現在、ワタシの収入は
当時からは数倍になったけど、
現在、妻がそれで浮かれているかと
言うとそうでもない。

これにも日々救われているよ(笑)

ただ、当時は結婚したって
会社の資金繰りが良くなるわけでもなく、
会社は停滞を続ける。

平成22年に、ワタシの当時の会社は、
重大な局面を迎える。

「どうやっても月末に150万円に
資金ショートが発生する」と。

当時、長女が3歳。

「パパだっこ!」なんて言って寄って来たって、
ワタシは上の空。

「150万円のショート・・・・
どうしようか・・・」って、
朝起きた瞬間から、
夜寝るギリギリまで、
資金繰り資金繰り資金繰り・・・・・。

その当時、ワタシは両親に
既に800万円の無心をしていた。

ワタシにすれば、
「オレが作った借金じゃない」
って言う思いは、心のどこかに必ずあったし、
両親にすれば、
「それを知っていて跡を継いだのはお前だ」
って言う思いは、
心のどこかに必ずあっただろう。

なんとなくギスギスした関係だったな。

カネが無いから、心に余裕が無いんだ。

「だめだ・・・・もう破産しよう」と思い、
その頃に、両親にも妻にも内緒で
新潟市の弁護士事務所を訪ねた。

「商売が続かないから、
破産したいと思うんです。」って
弁護士に相談したら・・・・・
「350万円かかる」と。

絶望・・・まさに絶望だったよ。
破産すら出来なかったんだ。

当時のワタシには350万円なんて
途方もない金額だったんだ。
途方にくれたのは言うまでもない。

東京の知人に、
「“借金踏み倒し専門”の金融コンサルがいる」
っていう情報を受け、会いに行ったんだ。

当時は東京に出かける
新幹線代だって困窮していた。

でも当時はさ・・・・
「週末1,000円高速」ってのがあってさ(笑)

それでガソリンは売るほどあったし、
売っていたし(笑)

週末に上京してコンサル先生に
会ってもらったんだ。

後後になって、
それが正しい呼称ではない事は
理解したんだけど、
当時のワタシには絶対的に知識がない。

「踏み倒し専門の金融コンサル」って・・・・(笑)

今思うけど、良く行ったと思うよ。

尤も、当時のワタシを助けてくれる
弁護士はいなかったから、
他に選択肢はなかったんだけどね。

そりゃ躊躇はしたよ。
コワかったよ。会うまでは。

でも、実際会ってみたら・・・秋
田県出身の気の良いオジサンが
対応してくれた。

2回目の面談では新潟の自宅に来てもらった。

「みながわさん、
借金を返そうとするから終わらないんだよ。

借金返すのやめると
5年か10年で終わるんだよ。」と、
借金の時効の存在を知ったんだ。

「銀行のいう事聞いていたら助からないよ。
歯向かわなきゃダメ。
そうしなきゃ助からないよ。」って言われて、
その日は親父も同席して3時間ほど話した。

親父がその救済案を受けて言ったんだ。

「先生、オレはあんたに
後光がさして見える」って(笑)

親父からの内諾を受けて、
借金返済停止を実行する。

事前に入念に準備をしたんだ。

あらゆる事態を想定した。

そして「Xデー」」を設定して返済停止して、
銀行との没交渉作戦を実行。

2か月で資金繰りがラクになった。
当たり前だよ。

毎月180万円が儲かるってことは、
当時のうちの商売では
1500万円くらいの売上に匹敵する
キャッシュインパクトだからね。

それでね・・・・
不思議に思ったことはさ、
自分たちが想像しているような
銀行からの債権回収が
殆ど実行されなかった事なんだよ。

それをイロイロと調べていったら、
ワタシ知っちゃったんだ。

想像していた銀行の債権回収行為のほとんどが
法律で規制されている事を。

更に同時に思ったのはさ・・・・
「なんで弁護士は借金の時効の存在を
オレに教えてくれなかったんだろう???」
って言う事。

それをイロイロと調べていったら、
ワタシ知っちゃったんだ。

債務整理が債務者の為の制度ではなく、
喰えない弁護士を食わせる為の
制度だって言う事を。

弁護士は資金的困窮者の為に
破産を勧めているのではなく、
自らの収入の為に破産を勧めているんだ、と。

だから、借金に時効があることを教えないんだ、と。

それにしても・・・・
「なんで銀行は、“矢のような催促”を
してこないんだろう??」って疑問に思って、
「なんで弁護士は時効があるのに、
破産破産と言いたがるんだろう??」
って疑問を持って、
六法を紐解き始めたのが、
ワタシが「たちばなはじめ」を
始めようと思ったキッカケなんだよね。

これが2011年5月の話。

当時は、小売業の商売をやりながら、
コンサルしようと思っていたんだけど・・・・
ちょうどこの時期に、親父が死んだんだ。

「親父が生きている間は
絶対に商売を続ける。
親父を会社の会長のままあの世に送る」
という気持ちはあったし、
それはお袋にも宣言していた。

だから反対に言えば、
親父が死んでしまった以上は、
この商売を続ける意味がない、
とも判断したし、お袋が、

「お父さんを会長のまんま
送ってくれてありがとう。
もうあんたは好きな事やっていいよ。」
って背中を押してくれた事もあってさ。

それでワタシは本格的に、
資金繰り支援コンサルタントを
名乗る事になるんだ。

当時ね・・・・
ワタシが何年間も悩んできた事が、
とあるコンサルの指導によって
数か月で解決していくときの驚きと言ったら・・・。

でね、その時に強く思ったのよ。

「こんな良い思いは
自分だけしていちゃダメだ!」って。

当時は本名で仕事していて、
新潟の経営者を救済しようと思って、
現在の仕事を始めたんだけどさ・・・・。

まっ・・・・・たく、
だれも信じないんだ。

ビックリするくらいだれも。

親しくしていた人間に、
自分の体験談を話すと・・・・
友人たちもワタシを怪しみ、
距離を置かれたんだ。

人脈を作ろうと、
新潟県内の異業種交流会を廻ったんだけど、
胡散臭がられて、半分以上は
「出入り禁止処分」になったんだ。

何のトラブルも無いのに(笑)

日本国憲法の「言論の自由」なんて、
娑婆じゃ通用しない、って事を知ったんだ。

「新潟ではダメだ。」と思って、
細い縁をたどって・・・・
東京で仕事をしようと思った。
2012年の5月の話。

当時は、
夜11時半頃の夜行バスに乗って、
朝4時半に池袋に到着。

漫画喫茶で時間潰して、
朝7時からの異業種交流会から始まり、
ランチ交流会、ティータイム交流会、
夜の交流会を廻りまくった。

名刺を配りまくったんだ。

「こういう仕事があるんです。」
「本当の事を知って下さい。」って。

池袋駅東口の喫茶店を
事務所代わりにして、
朝から夕方までコーヒー2杯で粘ってさ(笑)

ブログ書いたり、
数少ないご相談者にアドバイスを続けた。

半信半疑ならまだいい。

本人が信じてくれているのに、
その親が後日ワタシに抗議に来たりしてね。

「マイノリティの超超ベンチャー」の
洗礼を受けたのは今となっては良い思い出。

夜になれば、
また漫画喫茶かカプセルホテルに入って
夜を明かす。

数日それを繰り返し、
新潟に帰っては、
異業種交流会の日程を調べ、
スケジュールを組み上京・・・
これを繰り返したんだ。

世の中の
「士業に対する妄信」はすごかったよ。

ご相談者の中に、
「相談に行った弁護士さんは
そんなこと言わなかったです!」
なんて踵を返して帰る人もいた。

あまりに法律家の妄信が強すぎるから、
子供の事が心配になってね。

「自分への社会の批判が、
子供たちにも及ぶんじゃないか?」って。

それで、
「ビジネスネームで仕事しよう!」
って決めたんだ。

「橘 一」で仕事しようと思ったんだけどさ、
妻が言ったんだ。

「字面がおどろおどろしいから、
ひらがなに変えたら?」
ってアドバイスがあってさ。

それで現在の
「たちばなはじめ」になったんだ(笑)

猛烈な世間の逆風を受けながら、
ワタシは数少ないご相談者でのチャンスを、
少しずつ少しずつ・・・積み上げて、
実績を重ねていったんだ。

異業種交流会団体で、
公然とワタシを批判しながらも、
実は資金的に困窮していて・・・
こっそり個別相談に来る人もいた。

「免許無くなるの困るんです」と言いながら
借金相談においでになる士業の先生もいた。

世間のウラオモテ。
「本音と建前の日本社会」 を知ったんだ。

今日のところは、ここまで。

続きは後日。

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発行者:株式会社MEPたちばな総研
筆者:たちばなはじめ